16歳の時に交通事故に遭い、両足を同時に失った葦原みゅうさん。
壮絶な体験にも関わらず、その時の様子をポジティブに語る姿は印象的です。
そんな葦原みゅうさんですが、どんな事故に遭い、何が原因だったのでしょうか?
そこで今回は、「【葦原みゅう】事故の加害者は?特定されてる?当時の状況も!」をテーマにご紹介していきます。
【この記事で分かること】
- 葦原みゅうの事故の概要
- 葦原みゅうの事故の加害者について
- 葦原みゅうのリハビリについて
- 葦原みゅうのその後の活動について
葦原みゅうの事故の概要は?
葦原みゅうさんは、2014年の高校1年生の頃に交通事故に遭い、太ももの付け根付近から両足を失っています。
YouTubeで事故当時について語ってますが、概要については「相手の方もいるので」と詳しくは明かされていません。
大きな事故だったなら、検索すれば出てきそうだもんね
信号無視をした車にはねられたとの情報もありますが、事実かどうかは分かりませんでした。
葦原みゅうさんは、事故の原因や加害者を非難することで、誰かを傷つけることは望んでいないと考えています。
葦原みゅうさんによると、両足を同時に失うという事故は珍しいケースなのだとか。
事故当時の状況は?
交通事故に遭い、両親は医師から「両足を切断しなければ命が危ない」と説明され、両親は命を優先するという選択をしました。
葦原みゅうさんは、自分の足がないことに気が付いたのは、事故から2か月が経った頃だったそうです。
しかし、歩けなくなることに対しての「不安」や「嫌だ」という感情は一切なかったのだとか。
むしろ、リハビリが始まらない理由が分かって、モヤモヤから解放された気分だったようです。
24時間ベッドで生活をするという生活の方が嫌で、「いつ退院できる?」と医師に聞いて周囲を驚かせたそうです。
気持を切り替えるのは、なかなか難しそうだけどね…
そして、退院後はすぐに、大好きなディズニーランドへ行ったのだとか。
葦原みゅうの事故の加害者は?特定されてる?
葦原みゅうさんは、事故の加害者について詳しく語っていないため、事故の加害者についても情報は見つからず、特定もされていません。
加害者にも家族がいるため、配慮しているのだと思われます。
そのため、どこでどんな事故だったのか、特定できそうな情報は葦原みゅうさん本人からは公表されていません。
相手には思い詰めて生きてほしくないって思ってるんだって!
葦原みゅうさんが両足を失うほどの大ケガを負ったということで、かなり大きな事故だったと思われます。
加害者の方は逮捕されたり、それなりの罰があったのではないでしょうか。
しかし、葦原みゅうさんの思いも汲んで、加害者の方にも前向きに生きて行ってほしいですね。
葦原みゅうの事故後のリハビリは?
前述しましたが、葦原みゅうさんは交通事故に遭い、両足を失いました。
そこから約8か月間のリハビリに取り組んだとのことです。
日常生活が送れるようになるための、義足を使った歩行訓練、筋力トレーニングなど、かなり辛かったと考えられます。
最初は自分で車いすに乗ることはできないので、リハビリ訓練士に助けらながらのスタートです。
それがだんだんと乗れるようになり、車いすを自分でこげるようになれば行ける場所も増えたので、ワクワクの方が大きかったと、葦原みゅうさんは言います。
前向き過ぎて尊敬だね…
葦原みゅうさんにとって、「1日でも早い社会復帰」が目標だったので、強い気持ちで乗り越えてこれたのだと思われます。
そんな前向きな姿勢が、現在の活動と結びついているのではないでしょうか。
葦原みゅうの事故後の活動は?
葦原みゅうさんは2024年12月現在、
- モデル
- インフルエンサー
- 講演活動
を行っています。
モデル活動は、2016年にNHKの番組内でのファッションショーがきっかけです。
葦原みゅうさんは、自分と同じようにハンデを抱える人々に勇気を与えたいという思いから活動を開始しました。
また、SNSでの発信も注目を集めています。
YouTubeチャンネルはチャンネル登録者数は26.2万人で、かなり影響力があるのではないでしょうか。
動画の内容は、車いす生活に関することや、視聴者からの質問にNGなしで答えたものなどがありました。
東京2020パラリンピックの閉会式や、ミラノファッションウィークにも出演し、活動の幅を広げています。
葦原みゅうさんのポジティブな言葉は、多くの方を勇気づけ、自分をしっかり持って生きていくことの大切さを伝えています。
今後の活躍に期待したいですね。