スウェーデン出身で現在は日本国籍を持ち、庭師や俳優、タレントとして活動する村雨辰剛(むらさめ たつまさ)さん。
村雨辰剛さんは、2025年の朝ドラ「ばけばけ」で、小泉八雲役を演じるのではないかと話題になっています。
そんな村雨辰剛さんが日本に帰化することになった経緯や、これまでの学歴について気になります。
そこで今回は、「村雨辰剛の学歴一覧!高校や大学時代のエピソードや経歴も!」をテーマにご紹介していきます。
【この記事で分かること】
- 村雨辰剛の学歴や経歴
- 村雨辰剛の本職は庭師なのか
村雨辰剛の学歴まとめ!
村雨辰剛の学歴をご紹介します。
スウェーデンの教育制度は、基礎学校9年、高校3年、大学3年の教育課程となっているようです。
そして、義務教育は7~16歳の基礎学校で行われ、これは日本における小・中学校と同じですね。
村雨辰剛の基礎学校時代(7~16歳)は?
村雨辰剛さん(出生名はヤコブ・セバスチャン・ビョーク)は、スウェーデンの基礎学校に通っていたようですが、どこの基礎学校に通っていたのかは、残念ながら情報がありませんでした。
村雨辰剛さんの幼少期に、両親が別れることになり、介護職の実母とスウェーデン空軍パイロットの継父によって育てられたそうです。
育った地域が人口8000人ほどの小さな田舎町で、自然豊かでしたが刺激のない環境が嫌で、子供のころから外に出ていきたいと思っていたのだとか。
でも、この時はインドア派で、ゲームばかりしていたらしいよ!
継父の影響で、スウェーデン陸軍に入ることも考えていたそうですが、日本で言う中学校時代の世界史の授業で日本の歴史を知って、日本に興味を抱いたそうです。
スウェーデンの田舎町で育った僕は、子どもの頃から「いつか海外に住みたい」と強く思っていました。運命の出会いは中学生の時。世界史の教科書で少しだけ出てきた日本の歴史にとても興味を持ちました。
引用元:NexTalk
特に、戦国時代や武士道に関心があったとのことです。
Yahoo!チャットで日本人と会話しながら日本語の勉強をしていたようです。
さらに、常に英日辞典を持ち歩き、単語を片っ端から覚えようとしていたのだとか。
猛勉強のおかげで、スウェーデン語、英語、日本語が話せるみたい!
周りの友人からは変わったヤツとみられており、「ヤポン(日本人)」とあだ名をつけられていたそうです。
常に和英辞典を持ち歩いて日本語をつぶやいて覚えていたので、同級生からは「日本人」というあだ名がつけられました(笑)
引用元:NexTalk
村雨辰剛の高校時代は?
村雨辰剛さんは、スウェーデンの高校に通っていたそうですが、どこの高校に通っていたのかは、残念ながら情報がありませんでした。
日本に留学したかったそうですが、経済的な事情で断念したのだとか。
自分で日本の高校へ直接電話をかけて交渉したこともあるようですが、何校も断られていたそうです。
自分で直接電話をかけるなんて、行動力が凄いね!
そんな時、村雨辰剛さんの熱意を知った60代の日本人男性が3か月間のホームステイに招いてくれたそうです。
スウェーデンで通っていた高校も、通信教育として学校全体でサポートしてくれて叶ったホームステイだったようです。
覚えた日本語を使うためによくチャットを利用していたのですが、そこで仲良くなった日本人の方のご厚意で3カ月間ホームステイできることになったんです。1つ問題だったのは、日本に行っている間は高校を休まなければならず、進級が難しくなること。僕は、ホームステイも進級もあきらめたくなかったので、校長先生に直談判に行きました。そのかいあって、校長先生は教師全員で僕をサポートすることを約束してくれました。
引用元:NexTalk
日本滞在中は、ホームステイ先が経営する幼稚園の手伝いや、神社仏閣巡り、日本の伝統的な生活を体験したとのことでした。
日本での生活を体験して、より一層日本に住みたい気持ちが強くなっていったのだとか。
ホームステイ期間が終わっても、毎日のようにどうしたら日本に住めるのかを考え、日本語の勉強をしていたようです。
そして、スウェーデン陸軍の入隊試験に合格したものの、入隊を辞退し、高校卒業後にアルバイトでお金を貯めて19歳で日本へ移住してきたそうです。
村雨辰剛の大学時代は?
村雨辰剛さんは、高校卒業後に日本へ移住してきたため、大学には進学していません。
村雨辰剛の経歴まとめ!
村雨辰剛さんは日本へ移住後、愛知県名古屋市の外語学院で英語とスウェーデン語の講師として働いていました。
講師時代に外国人が所属する事務所からスカウトされ、モデルや翻訳の仕事をするようになったそうです。
その後、東日本大震災が起き、スウェーデンの家族からは何度も安否確認の電話があったのだとか。
ちょうど講師の契約が切れるタイミングで一時帰国し、家族とも相談した上で、日本に住み続ける決意を再び固めたそうです。
日本では、伝統的な職で特に宮大工になりたいと思っていましたが、大工経験がなく、仕事は決まらなかったようです。
そんな時、「造園業」のアルバイトを見つけ、8か月間働き、自分にピッタリだと思ったそうです。
この時から「庭師」になりたいと思うようになったそうです。
アルバイト期間終了後、なかなか造園業の仕事は見つからなかったようですが、ハローワークで紹介された、加藤造園に採用されたのだとか。
2012年6月1日から庭師の徒弟となり、5年間修業を積んだそうです。
そんな村雨辰剛さんは、26歳の時に日本国籍を取得しています。
「村雨辰剛」という名前は、師匠の加藤剛さんに付けてもらったようです。
名前は、
村雨:師匠の加藤剛さんが好きな作家「村雨退二郎」から取った
辰:村雨辰剛さんが辰年生まれだから
剛:師匠の加藤剛さんから一字頂いた
という由来があるとのことでした。
「村雨」は師匠が好きな歴史作家の村雨退二郎さんに由来するそうです。名前は自分で考えて、辰年生まれなので「辰」。親方の名前から一文字頂いて「剛」。「たつまさ」という響きも気に入っています。
引用元:NexTalk
村雨辰剛の本職は庭師?
村雨辰剛さんは2024年現在、庭師と俳優、タレントとして活動しています。
「庭師」という仕事を転職だと思っているようですが、最近は日本庭園が減少していることに寂しさを感じているのだとか。
確かに、洋風の家が増えてるもんね…
そんな中で、「日本に帰化したスウェーデン出身のイケメン庭師」としてSNSで取り上げられ、2016年からはタレントとしての活動も始めています。
そして、メディアに出る仕事もだんだんと増えていき、日本庭園の良さをメディアやSNSで発信しているようです。
また、俳優としてもテレビドラマへ出演しています。
庭師の仕事は季節によって仕事量にバラつきがあるため、俳優やタレントの仕事とバランスを取りながら両立しているそうです。